8月15日を「終戦記念日」というけど、以前は「敗戦記念日」とも言っていた?
日本は敗れたから、敗戦に違和感はなかったが、いつの間にか「終戦」になっていた。
調べてみると、国際的には日本が降伏の調印をした9月に戦争終結日がある。
だから、アメリカに占領されていた時代は、
9月2日を「降伏の日」や「降伏記念日」「敗戦記念日」と呼んでいたそうだ。
その名残で、私が子どもの時代には「敗戦記念日」の呼称が生きていたんだな。
そういえば、私が子どもの頃の「仮想敵国はソ連」だったので、
何でもかんでも「ソ連憎し」の解釈がされていた。
8月18日から千島列島の攻撃を始め、9月5日に占領完了した…と。
8月15日で戦争が終わったという日本の認識を使って、
「ソ連は戦争が終わってから北方領土を奪った卑怯な国だ」と言っていた。
父は、ソ連の人を「ロ◯ケ」と呼び蔑んでいた。
まぁ、父に限らず、当時の日本人は、ソ連のことを悪く言っていた。
でも、朝鮮半島のことは話題になること自体が、少なかったように思う。
中国や韓国の話題は、国のことより、在日のことが多かったように覚えている。
特に中国からの残留孤児の引き揚げは…
孤児の苦労と、育ててくれた中国人の心の広さに驚いた。
今、ワイドショーやニュースをみていると隔世の感がある。
ソ連がロシアになり、北方領土問題はお願いベースに変わってしまった。
ソ連とロシア、国家の体制・運営は、何か変わったのかねぇ〜?
韓国に対する思いも、どうしたんだろう?…という感じ。
そもそも、反共で「アメリカ・日本・韓国」は同じグループ。
特に自民党は韓国とズブズブの関係で、社会党が北朝鮮と交流していた。
日本の仮想敵国が、北朝鮮に移り変わっていく中で、
韓国も北朝鮮(敵)も「民族(半島)統一」を最重要課題としていた。
そう、韓国は味方から敵(北朝鮮側)に変わっていったんだよね。
だから、何十年も放置していた「竹島問題」で大騒ぎするようになり、
靖国参拝、戦争の謝罪、慰安婦問題、強制労働…など
加害者と被害者の思いをすり合わせることに労力を割かずに、
単純に自分たちの思いを押し付けて解決させようとして、対立を深めている。
日本が何をし、敗戦後、日本がどう責任をとってきたのか…。
最初の呼称の問題に戻るけど、「終戦記念日」という考え方。
本土空襲が続く中で、沖縄慰霊の日(6月23日)、広島原爆の日(8月6日)
長崎原爆の日(8月9日)、終戦記念日(8月15日)と続くと…
なんとなく、日本が一方的に叩かれた被害者っぽく感じてしまう。
「敗戦記念日」なら、日本が戦いに敗れたことが、すぐに分かるだろうに…
撮り溜めた番組を見ながら、戦争を振り返ろうかな…
夜中の「映像の世紀」や NHK特集など、いっぱいある。(^o^)
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