コロナ禍の 3.11 に、11日をまとめてみた。
1月11日 1851年 清国で洪秀全が率いる集団が武装蜂起、太平天国の乱。
2月11日 1920年 東京で普通選挙要求デモ大行進。111団体、7500人が参加。
3月11日 2011年 東北地方太平洋沖地震。観測史上最大規模。
4月11日 1868年 江戸城無血開城。官軍が入城し徳川慶喜は水戸へ退去。
5月11日 1974年 足尾鉱毒事件が80年ぶりに決着。
6月11日 1873年 日本初の商業銀行・第一国立銀行(現 みずほ銀行)設立。
7月11日 1935年 静岡地震。静岡・清水などで死傷者9,299人。
8月11日 1919年 ドイツで「ワイマール憲法」制定。
9月11日 2001年 アメリカで同時多発テロ。死者数千人。
10月11日 1995年 大分県九重山系の硫黄山が257年ぶりに噴火。
11月11日 1971年 人工降雨による崖崩れの実験失敗。15人が生き埋め死亡。
12月11日 1997年 地球温暖化防止京都会議が閉幕。「京都議定書」を採択。
9.11と、3.11の印象が強く、11日でまとめてみた。
振り返って考えると、9.11 はアメリカだけじゃなく、日本社会も変えたね。
私は、協調から利己的な社会への変化を感じていて、悪く変わったと思っている。
3.11 は、変らなきゃいけないハズだったのに、変わっていないことに苛立つ。
東北の太平洋側は、どこも道路整備がすすみきれいになっているけど…
震災当初は、外国人労働者が多かったけど、
オリンピック決定と円安のせいで、みんな東京へ行った。
地元の若者は、土木建設業や作業員相手の飲食業に携わるようになったけど、
復興事業が一段落したら若者はどうやって生きていくんだろう?
津波被害の都市は、どこも防潮堤とかさ上げ工事…。
それができないと住宅を建てられないようだ。
店舗は増えてきたが、住居は疎ら… 待てなかったんだろうねぇ…
堤防で海が見えなくなった街に「故郷」を求めて帰ってくるのかな?
そもそもが、過疎地だったんだから「新しい街づくり」を優先すればよかった?
なにより、原発被災地は、辛いよなぁ…
大熊町の避難所の人たちと話をしたけど…
「もう帰れないと思ってくれ、と言われた時は、なにクソーって思ったけど、
5年も経ったら帰還にこだわるほうが間違いだと思う」とか
「あと 20年って言われたけど、その時は私らみんな死んでいる」
「除染が済んだと言っても、帰ったのは年寄ばかり。
ほとんどが子どもや親戚が役場で働いている人。
でも、若い人は帰らないから 20年もすれば誰もいなくなる」…と。
壊れた原発、30年で更地にする計画、誰も信じちゃいないだろう。
そもそも、放射性廃棄物置き場も、10年経っても決まっていない。
あの時、自民党は「私たちならすぐに決められる」と大騒ぎ。
何も決まっちゃいないし、決めたことがことごとく間違っている。
市民生活より票田へ税金を投入しているとしか思えない。┐(´д`)┌ヤレヤレ
復興という名のもとで、巨額の税金が投入されているけど、
その先には、どんな生活があるんだろう…?
10年目の今年、20年 30年目、よりよい社会になっていることを祈って…
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